楽観的日和見主義

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寄り添うもの

 私が昔から思うに、看護師だの教師だのいわゆる「人を救う」のを主軸に置いた職業よりも、本当に多くの人に寄り添い救いを与えるのは別のもののような気がする。「人の役に立つ仕事がしたいから」という理由でそれらのいわゆる「聖職」を希望する人は本当に立派だし、希望者が多いのも喜ばしいことだが、何も他の職業が人の役に立たないというわけではない。職業に貴賤なし、と言うが人の役に立ちたいならどの職業も少なからずそうだろう。
 重要なのは「care」のみでなく「cure」を含む職業だということだ。身の回り世話や診療などだけでなく、心に癒やしや安楽を与える仕事だからこそ、ただ淡々としている(ように見える)仕事よりも素晴らしく立派に思えるのだ。(もっとも看護師は職務内容がハードだからこそというのもあるだろうが…)しかし、どんなに素晴らしい職業であろうと、彼(女)らが人に寄り添い癒やしを与えるのはごく一定の期間だけである。勿論、人生の終末を見守られる人もいれば、疾病で心身ともに弱っている時期に勇気づけられたという人もいる。学校を卒業後も頼られる素晴らしい教師も存在するし、それが聖職者の本来あるべき姿だと思う。
 だが、「その場所」にいないその他の人間はどうだろうか? 身体の健康には問題がなく、入院する必要はない。しかし精神的に追い詰められ、だからといって病院に通うような症状もない、そんな人間はどこに救いを求める?

 人を救うのは人である。すごく個人的なことを言わせてもらえば、私は音楽だの漫画だの本だのにだいぶ慰められたことがある。何がどう変わるわけでもないが、孤独でひしゃげた心に寄り添ってくれる。こう言うとすごく薄っぺらく聞こえるが、これらはすべて人の発したメッセージが人に伝わるということだ。それは創作物だけではなく普段の会話や関わり合いから伝わることも多いが、変に気を遣ったりせずに、ありのままの汚く弱い自分を晒せるのは一人の時くらいだ(少なくとも私は)。
 だから私は「聖職者」に限らず誰もが人を救う「発信者」になれると思う。発信者の誰もが意図して人を慰めようとか救おうとか思っているわけではないだろうが、それは確かなことだ。私はそういう、普通だが少し病んでいる人間を救いたいと思う。だからちょっとやりたいことと看護がずれるのかもしれない。
 ただ、今は目の前のことを頑張るしかない! 進級するぞー!
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