楽観的日和見主義

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

チベット暴動

ご存知の通り、チベットで暴動が起きている。
中国は以前からチベットに対し文化的、思想的に侵略を行っており、こうなることは仕方ない自体だったと言える。現実に、今まで何回もデモは起きているのだ。

主な侵略の内容を引用。
>地元住民はダライ・ラマおよびロンギュ・アダック氏が行なった抗議について非難するよう求められ、地元の学校では子どもたちがダライ・ラマを分離派として非難する作文を書くよう求められています。

>会合の際には、チベット人はダライ・ラマを非難するよう命じられ、従わない場合は投獄される危険もあるといいます。 あるチベット人は次のように語りました。「会合の主要目的はいつも同じ。ダライ・ラマ法王を非難することなんです。ロンギュ・アダック氏や分離派に反対している意思表示をして、中国共産党がいかにすばらしいか褒め称えなければならないんです。

>「チベット人にとってダライ・ラマを非難するよう命じられるということは破滅的といっても過言ではありません。チベット人僧侶、尼僧、一般信者が行なう請願の基本条項は、ダライ・ラマを心から尊び、師として帰依することなのです。チベット人がダライ・ラマを非難するということは、心の絆を断ち切ること、 真から帰依している最も大切な師とのつながりを断ち切ることを意味します。」

旧植民地支配のような恐るべき洗脳政治である。中国本国でもあることだが、当局にとって都合の悪い人間は社会的に抹殺されるわけだ。
そのほか、中国の支配下ではチベット最大の宗教である仏教も満足に学べる状況ではないというのもあり、そのため、今でも海外に亡命する人も多いのだ。最大がインドで約10万人、日本にも60人ほど亡命している。

●中国とチベットの歴史
1949  共産党軍、中国全本土を掌握
1950  チベット政府「共産中国による侵略」を国連に提訴
1951  中国、軍事的侵略の威嚇の下に、ンガボ・ンガワン・ジグメら代表団に北京で悪名高い「チベットの平和的解放のための措置に関する17ヶ条協定」への署名を強要
1959  ラサでチベット蜂起開始。中国はチベット人87,000人を殺害して蜂起を鎮圧。
     ・ダライ・ラマとともに80,000人のチベット人がインド亡命
     ・周恩来首相、チベット政府の解散を宣言
     ・ダライ・ラマ法王が著した1959年3月10日 (FREEDOM IN EXILE「ダライ・ラマ自伝」より)
1959  ダライ・ラマ、インド北東のアッサム州テズプールに到着。「17ヶ条協定は武力威嚇によってチベット政府と民衆に押しつけられたものだ」として拒否
     ・ダライ・ラマ、北インドの山岳部ムスーリでチベット亡命政府を再樹立。
     「私の政府とともに私がどこにいようと、チベットの民衆はわれわれをチベット政府と認める」と宣言
1960  国際法律家委員会がチベット問題で第2号報告書を発表し、「宗教的集団としてのチベット人を破壊しようとして、虐殺行為が行われている」と指摘
1964  パンチェン・ラマ10世、ダライ・ラマへの支持を公に表明したためラサで逮捕される
1964  ラサでチチベット人学生10,000人が中国の政策に反対してデモ
1987  ラサで中国支配に反対する2つの大規模デモが勃発し、国際的に報道される
1996  中国、チベットで愛国的再教育と精神的文明化キャンペーンを開始
    (これらのキャンペーンは、チベット人を威嚇して、ダライ・ラマへの信仰を放棄させることが狙い。特に、僧院や尼僧院が標的とされた。 )

http://www.tibethouse.jp/home.htmlより引用

ここに紹介したのは一部のみで、実際はもっと多くの抗議デモが行われている。
またまた中国は被害者面だが、果たしていつまで誤魔化せるんだろうか。これだけのことをしておいて、言い逃れはできまい。
チベットの人が早く解放されることを願う。

[動画]1988年3月チベットで行なわれたこと(You tube)
チベットの都ラサのジョカン寺を襲撃した中国の兵士たち
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。