楽観的日和見主義

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空前の自殺ブーム

今、いじめによる中高生の自殺が空前のブームだ。

福岡中2自殺をきっかけとして、波紋を描くように広がってきている。非常に哀しいことだと思う。
言うまでもなく、死を考えるほど辛いという目に遭わせたいじめっこ(この呼び方も生温いが)が一番悪いが、いじめられた子も、死を決意する前に何か行動を起こして欲しい。戦えとまでは言わない。周りに助けを求めてもいいし、学校を休んでもいい。死ぬ気になれば何でもできる、なんてよく使われるが、死ぬ前に何かやりたいことはないか?自分をいじめていた人間に対して言いたいことはないか?

いじめが原因で死ぬ、ということは殺されるのと同義だ。
ひどい目に遭わされて尚、むざむざ殺されていく気か?と問いたい。

日本は他の国に比べ、自殺が罪悪だという感情が薄い。それもいじめ自殺が増加した背景の一つだと思う。
しかし、自殺することによって解決することは、実際何もないと言っていい。いじめていた人間は一生罪悪感を背負うこともあるだろう。しかし、本当にそうだろうか?この世には鬼畜というのがいる。それこそ、葬式の席で笑い声を立てるような、人間味を全く感じない冷酷な人間というのがいる。彼らにとって自分のいじめていた人間が消えた所で何が変わるというのだろうか。
それだけじゃない。一人の人間が亡くなるという事は、周りの人間に大きな悲しみを与える。親、兄弟、友人は泣き、腸の千切れるような痛みを味わい、なぜ自分に止められなかったのだ、と悔やんで一生引きずるだろう。関係したすべての人間に暗い影を落とす。

命は生まれついた時点でもう一人のものじゃない。生きているだけで十分だ。
逃げてもいい。逃げるのは悪いことではない。死ぬ以外にも逃げ道は腐るほどある。

命を大事に、と当たり前のことを改めて言いたい。
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