楽観的日和見主義

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目の前のせいにしてただ過ごしてきた日々で

最近、というか少し前から考えていたことをまとめてみる。Twitterだと流れてしまうので。

特に酷いことをされたわけでもないのに、他人へ悪感情を抱くことがある。この嫌悪感、憎悪の元は劣等感なのではないか。

だからといって、他人に劣等感を抱くこと=悪感情になるわけではない。問題はそれを隠そうとすること。
つまり、自分の劣等感や嫉妬を認めず、それを隠そうとして表面的にはそんなことはおくびにも出さず友好的に振舞う。これが、自分の中の嫌悪をさらに加速させてしまう原因なのではないか。

なんでこんなことを今更書くかというと、今日部屋の掃除をしていて昔の日記が出てきたからである。
ネットスラング多用で非常に恥ずかしい内容であったが、それよりも恥ずかしいのはその滲み出る性根の悪さ(笑)
高校生の時、自分はかなり気持ちが荒んでいた。友人はいたものの、家庭環境がかなり歪であり、それに比例して私の内面も歪んでいった(と思う)。

だから、ほかの人がとても良く見えた。
親がいる人、兄弟がいる人、お弁当を作ってもらえる人、家族仲がいい人、みんな羨ましかった。
一方で、ルサンチマンに似た感情もふつふつと育っていた。何も悪いことなどしていない相手を憎み、心の奥で見下すような、どうしようもない状況を自分で作ってしまっていた。
そしてそれは、おそらく態度に出てしまっていた。

だから、あの時、正直に言えば良かったんだ。
あなたが羨ましい。
親にプレゼントを贈ることのできるあなたが、兄弟で出掛けることのできるあなたが、信頼できる恋人のいるあなたが、人気者で友達の多いあなたが、溢れるほど才能のあるあなたが、心から羨ましいと、正直に言えば良かった。そうすれば、あんなに人を憎まずに済んだのかもしれない。人間関係を断ち切らずに済んだのかもしれない。

そしてその歪んだ劣等感は、たぶん今も間違った優越感として出ることがある。代償行為として、自分の足りない所を無理に補おうとして出るんだと思う。劣等感=優越感という話を読んで腑に落ちた。
で、ようやく自覚したので、その分態度を改めなければと思う。せめて周りの人に不快感を与えないようにしたいね。根源的には、やっぱり自信を持つことが第一なのだろうな。
自分探しはやめて、自分自身を認めて、自信をつけること。(小池一夫先生も言っておられたけど)

結局は、自分に正直になれということなのかもしれない。素直に生きていくことで、自分の感情に振り回されることを減らすことができるのかもしれない、と一つの持論でした。


はずみでそれは歌になってしまう
それは風になってしまう
きみは
放浪フリーク/GRAPEVINE
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